普段あまり他人の事には興味がないのだが、たまたまネットニュース見ていて、なんとなく気になったので見てみた。ホリエモンが あるニュースに対してコメントしたとのこと。
以下、サンスポ.comより引用
「ホリエモン」こと実業家の堀江貴文氏(46)が7日、ツイッターを更新。ネット掲示板上で、月給の少なさを嘆き「日本終わってますよね?」などとつづった投稿に共感の声が寄せられているというニュースに反応した。記事によると、投稿者は東京都内の某企業に12年間勤務しているにもかかわらず、手取りの月給がわずか14万円だといい、「日本終わってますよね?」などと訴えた。この投稿には共感するコメントが相次いだというが、堀江氏はこの話題を伝えた記事を引用し「日本がおわってんじゃなくて『お前』がおわってんだよwww」とつぶやいた。
とても彼らしいことを言っている。そしてこちらが元ネタ。
私の場合、ホリエモン派とか投稿主派とか、そういった二元論で語る気は無い。ただ、投稿の大元が金銭的な事であったので、なんとなく過去の自分とリンクした。もし、同じような考えの人がいるならば、私の経験を例として話すことによって、何かを考えるきっかけになってもらえればいいと思う。
人生で大事なことは「やる」か「やらないか」この二つだけ
私も諸事情があり生活保護を受け、貧乏していた。はっきり言って国家のお世話になっていて、国家のおかげで今があると思っている。もっと貧しい国に生まれていたとしたら、私はもうこの世にいなかったかもしれない。
そういった意味で日本に生まれた事を、とても感謝している。しかし、その貧乏だった境遇を嘆いたり、悲しんだりした記憶は一度も無い。なぜなら、母子家庭であっても母親の愛情をしっかり受けていたので、特にやさぐれる要素がなかった。
そして「もし自分が裕福な家に生まれていたら・・・」なんてことも特に思ったことはない。それを考えたところで、私が裕福になるわけではないから。たぶんこの「環境に不満を言っても、何も変わらない」という原点が、今の私を作っているのではないかと思う。
そして、そんな事を思い続け、どんどんと年齢を重ねていくにつれ、自分の身の回りには二つの人種が生まれた。そう、
「何かを始めて動いた人」
「悲観だけして動かなかった人」
その結果はハッキリした違いとなって現れた。人に馬鹿にされながらも動いた人は、何かしら一歩ずつ前進して行った。その一方、特に何もしなかった人は、数年後も同じだった。私はこれを見て人生とは、
「やる」か「やらないか」
シンプルにこの二択なんだなと思い知らされた。実は私も、なかなか動けなくて熟考するタイプの人間だったのだが、正社員として会社で働くという選択肢が無くなった時、初めて「やる」側へとシフトした。
結局自分が動いた方が、早いし、楽である
人間、確かに物事がうまくいかなくなると嘆いたり、人のせいにしたり、そういうネガティブな感情に支配されることはある。以前の私もそうだった。
けれど、一時的にはその感情を吐き出してスッキリするとは思うけれど、そこからまたしばらく経つと、変わらない現実が自分を待ち受けている。私はその繰り返しにとても疲れた。そして「やる」ことを選び、投資の世界へと足を踏み入れた。
もし仮に「手取り14万で日本が終わっている」と嘆いたとしよう。ではそれを解消するために、今の勤務先に給料10万円アップを請求したり、政府に「お前らがしっかりしてないからダメなんだ。もっと国民に還元しろ」と訴えたとしよう。おそらく、
その願望が実現するまでに、人生は終わっていると思う。
また、仮にそれが実現するとして、何年待たなければいけないのか?と考えた時、私自身はゾッとしてしまう。なぜなら、これは他人を変える事に他ならないから。これをもっと身近な例でたとえてみよう。もしあなたが女性だったとして、例えば自分の彼氏にある日突然、
「北川景子さんの顔になってくれ ( ◜◡◝ 人)」
と言われたらどう思うだろうか。目一杯お金をかけたとして、北川景子さんの顔になれるのだろうか?また、そんな無茶を言う彼氏と一緒にいる事に、意味があるのだろうか?もし私が女性だったとして、彼氏にそんなことを言われたら、
「お前が菅田将暉になったらな!( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン」
と言って別れを告げると思う。その彼氏に、
「そんなこと言わないで(泣)」
と言ってすがりつくことに意味があるとは思えないし、自分を理解してくれる環境に移ることの方が大事だと思う。居心地が悪かったら移動すればいい。その自由がこの国にはある。
お金が無い事が問題なら、増やせる方法を考えればいい
私は冒頭でも述べた通り、この日本という国に感謝している。職業選択の自由はあるし、迫害されることもない。基本的に餓死することもない。
こういう最低限の権利が保障されている国において「終わってる」という感情は湧いてこない。そして話をまとめるにあたって、私が思う投稿主とホリエモンとの差は、
1「やる」か「やらないか」
2「知ってる」か「知らない」か。
この2点に要約されると思う。
「やる」か「やらない」かは、行動力の問題。
「知ってる」か「知らない」かは、情報力の問題。
特に一般の方は、
働いたお給料をもらって、その中でやりくりし、生活するのが全て。
この固定観念が強いのではないか。しかし実際には、
働いた給料が低ければ転職すればいいし、転職が難しいなら副業すればいい
し、副業がダメだったら、他にお金が増える方法を探せばいい。
私はそう思う。出来ない理由だけ述べるなら、小学生でも出来る。また、人生において、人を窮屈にしてしまう発想があって、それは
「これしか方法がない」
と思い込んでしまうこと。私もこれに苦しめられた。私はミュージシャンになる夢が破れ、バイト経験しかなかった。高卒の私はそもそも大企業に入れないし、 何も学が無い。
だから満足するお金を得ることなく、絶望して人生を終えるんだろうな、と思っていた。
しかし、結論から言えば、それは私が勝手に思っていただけにすぎない。実際にお金に関することであれば、解決する方法はいくらでもある。それを「知ってる」か「知らない」かで、話は変わって来るのである。
登山のルートと同様に、人生にも複数のルートがある
会社に勤めて給料をもらって、そのお金で生活する。
というのが基本的なルートであると思う。しかし人生とは誰一人同じ人生がないように、お金を得る手段も一つではなく複数ある。登山ですら複数のルートで挑戦する事ができるのに、もっとバラエティに富んだ、我々人間の人生に新しいルートがないなんてありえない。そして、その自分だけのルートに気が付いた人からどんどん上に登っていく。私はそんな気がしてならない。
嘆く10年と動く10年。
同じ10年でも、人生は全く変わったものになる。あなたはどちらの10年を選びますか?